
2026年7月24日「ミルクのひとり語り」が始まります
先日、KSN小松代表とお話する機会がありました。
代表は、「全体のメーリングリストが、ただ伝達事項を伝えるだけの存在になってしまっている。
他の色々な話題で盛り上がって、もっと身近な楽しいものになって欲しい」と言われていました。
そして「ミルクさん、何でもいいから投稿してください」とのリクエストもいただきました。
その情熱に感服いたしまして、「書く」ことで状況改善のお手伝いができればと思い短いエッセイ シリーズ「ミルクのひとり語り」を始めることにしました。
つれづれに非定期的に発信しますので、一人でも多くの方に読んでいただければ幸いです。****************************
NO6 2026年10月9日「チェコとチャスラフスカ」
皆さま、おはようございます
重たそうに垂れる稲穂が秋風に揺れています。
収穫されるのを待ち詫びているのでしょうか
人間がどんな価格をつけようと、
精一杯の稔りをつけた稲穂たちです。
そんな秋のひと時を、「ミルクのひとり語り~No.6」にお付き合いくださいませ。

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「チェコとチャスラフスカ」
先日、チェコ出身の熊大・大学院生とお話する機会があった。
私も居合道の文化交流のお手伝いで、チェコを訪問したことがあったので、
しばらくその話で盛り上がった。
チェコと言えば、以前は「チェコスロバキア」という国であった。
チェコスロバキアと聞けばすぐ思い出す名前がある、そう「チャスラフスカ」だ!
私はふと次のように言った。
「チェコスロバキアと言えば、日本でもとても人気のあった、有名な体操選手がいましたよね。」
彼女が1964年の東京オリンピックで、 優美で気品ある姿で見事な演技を見せて世界中の観衆を魅了したことは、私の胸にも幼い頃の遠い記憶として残っている。
すると彼女の目が光を増し、次のように語り始めたのだ。
「そうなんですよ!ベラ・チャスラフスカです。日本人の方達はチェコと言ってもどこの国かピンとこないみたいですね。でも私が『チャスラフスカがいた国です』と言うと、『あーー!』と、特にシニア層の方達が覚えておられますので嬉しいです。 東京の後のメキシコオリンピックの時は、ちょうどロシアが2度目の侵略をした時で・・・」
それを聞いて私は目を丸くして尋ねた。「え!!ロシアの2度目の侵略!?」
彼女の話をまとめてみると、チェコは1939年からスロバキアと分離され、ドイツの領土となっていた。第2次世界大戦でドイツが敗退した後は、ソ連が侵攻して来て共産陣営に組み込まれた。その時に再び「チェコスロバキア」になり、独立国家の形は保つことができたが、ソ連の支配下になってしまっていた。
なので、東京オリンピックがあった1964年は共産圏の「チェコスロバキア」として参加していた。
チャスラフスカは見事な演技で金メダル3個、銀メダル1個を取って、自国はもとより世界中の観衆の注目を集めたのだった。
しかしその後、変化が現れる。 チェコスロバキアでは次第に、自由化・民主化運動が進み(プラハの春)、それを恐れたソ連が再び軍事介入をしてきて民衆を弾圧したのだ。そのため、東京オリンピックの4年後のメキシコでオリンピックが行われた時期には、民主化は終わりを告げ、ソ連の武力支配体制になってしまっていたそうだ。
メキシコオリンピックでも、多くの金メダルを取って表彰台に上ったチャスラフスカは誇らしく自国の国旗を見上げて国歌を歌った。しかし、ソ連の国旗掲揚の時には「静かな抗議」を示したのだ。一度だけでなく、何度も。
ソ連の国旗を見上げることなく、またソ連の国家を歌うこともなく、ずっと下を向いたままで通した。 自由と平和を求める不屈の姿勢を示したのだった。
この「静かな抗議」は世界中で大きな話題となった。
影響を恐れたソ連政府は弾圧を強め、帰国後の彼女は一切のスポーツ活動、社会活動を禁止されたという。
しかし彼女はひるむことなく、表に出ない地道な活動を続けたそうだ。


その後1992年に、チェコは無事にソ連から独立した。独立して自由な国に育ったその大学院生のお話は、メディアから流れて来るニュースとは違う「事実」そのものの何物でもないからか、とても心に迫ってくるものを感じた。祖国を愛おしむ心、またチャスラフスカを誇りに思う気持ちが、お話のいたるところで伝わって来た。
「チャスラフスカはチェコの英雄なんです!」
と語るこの若い女性にも、国の独立と自由を勝ち取るために流された血が 受け継がれているのだろう。
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NO5 2026年9月24日「八雲は熊本が嫌いではなかった」
皆さん、こんばんは
灼熱の夏陽の名残か、日中はまだ暑い日が続く9月ですね。
今年はどういう訳か、名も知らぬ野鳥の美しい声に包まれる日々を過ごしています。
時々ウットリとするほどです。
これも今までなかった現象で、不思議な感じで自然を見ているところです。
では久しぶりの「ひとり語り」にお付き合いくださいませ。

++「八雲は熊本が嫌いではなかった」
町のセンターで発表会が催されることになり、英語クラスでは「小泉八雲」を題材にした
寸劇をすることになった。
寸劇の脚本を書くにあたり、エッセイ等の作品に数多く触れることとなった。
読み進めていくうちに、八雲は熊本を題材にした作品を何と30あまり書いているのが分かり、
少々驚いてしまった。
「停車場にて」「夏の日の夢」「石仏」「極東の未来」などなど、洗練された題名が並ぶ。
特に「橋の上で」は安巳橋の上から見た白川や熊本市の景色を、まるで一幅の絵のように描いてあるが、その美しさは際立っている。
その作品には西南戦争中のある日に目撃した橋の上で繰り広げられる三人の薩摩兵による政府士官の斬首、それを恐怖におののきながら目撃する車夫の姿が見事に表現されている。
無言のうちに粛々と行われる殺害は、まるで無声映画のように静と動が幾重にも重なりながら読者に迫る。そして結末は、人間の「徳」に及んで結ばれている。
そのような素晴らしい数々の作品を残してくれた小泉八雲だが、今でも多くの日本人には怪談作家と思われているのは本当に残念である。
3月まで放送されたNHKドラマ「ばけばけ」を見て、そう思っている人の数は減っただろうか。
せめて熊本に住む私達は、「小泉八雲は熊本が嫌いではなかった」、「熊本を舞台にした数々の名作を残してくれた」、ということは知っておいたほうが良さそうだ。
NO4. 2026年9月6日「安い国 日本」
今日は庭を吹き渡る涼しい風が、木々に、人に、
心に安らぎを与えてくれているような、
そんな日曜日でしたね。
「ミルクのひとり語り No.4」を投稿します。
お読みいただくと嬉しいです。
ありがとうございます

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「安い国 日本」
先日、あるアメリカ人の若者と語る機会があった。
その若者は日本に来て2年半ぐらいであるが、子供の時から日本のアニメや漫画に魅了され、
大学ではアニメーションを専攻したそうだ。
その若者が言った。
「昨年、いとこがアメリカから遊びに来たので、一緒に東京へ旅行に行ったんです。
とても良かったんですが、特に良かったのはホテル代がとっても、とっても安くて、おかげでアメリカでは泊まれないような良いホテルに泊まることができました。」
(これでいいの?)と思うぐらいの値段だったそうだ。
それを聞いて、私は少し複雑な気持ちになった。
物価安に加えて円安が原因だとは十分承知しているが、「安い日本」がこんなに長く、またこれからも続くのは
忍びない気がする。
そうは言っても、かく言う私も30年ぐらい前までは、諸外国で同じように「物価安」を多いに楽しませてもらっていた。さすがにアメリカではそんなに安いとは思わなかったが、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、シンガポール等の東南アジア諸国に出かけては、「こんなに安くていいの?」と感じたことも多かった。
景気も良くて円高だった時代の話だ。
時は流れ、
国の借金でもある政府財務残高はG7で最高(約200%)、平均給与はG7で最低、、、
そんな日本の状況を見ていると、立場が逆転するような時代が来るとは思えない。
それでも平和で安全で清潔、長い歴史の中で培われてきた優れた伝統文化や芸術など、他国にないものは沢山ある。
それらを大事にして、いつまでも魅力ある誇れる国であって欲しい。
NO3 2026年8月24日「有害物質を取り除く」
庭の虫の音に、涼しいささやきを感じる夜です。
久しぶりの「ひとり語り」にお付き合いくださいませ。
また、27日の午後は学園大サロンにおじゃまします。
宜しければ、私の「インド旅談義」にもお付き合いいただけますと嬉しいです。

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「有害物質を取り除く」
今をときめくJASMで働くTさんとお話する機会があった。
TさんはJASMの社員ではなく、ある会社からの出向でJASMの半導体工場で働いておられるエンジニアだ。
その仕事の内容を聞いているうちに、とても興味が湧いた。
Tさんの会社はドイツの会社で、 半導体製造の排ガス処理の装置および産業排水処理の設備の専門メーカーで、その技術は世界でもトップクラスなのだそうだ!
支社もヨーロッパやアジア諸国、北米や南米と世界中に散らばっている。もちろん日本では熊本の菊陽だけに支社があるのだから、町の国際性にも今さらながら驚いてしまう。
でもJASMは、そういった外国の会社だけでなく、日本の環境技術や水処理のメーカーも大規模に採用しているという。
やはり環境保全を無視しては、現代の企業の成長は無いのだと実感する。
AIの時代もこれから本格化していくに伴い、半導体生産はますます需要が増すのは明白だ。
それに伴う環境保全のひとつとして、熊本の地下水と空気をこれからも最先端の環境技術で守っていって欲しい。
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NO2 2026年8月3日「こさめさん」
今回の地震で被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
菊陽には多くの企業の工場がありますが、ほぼ全て閉鎖されていると聞いています。
でも明日ぐらいからソニーは操業でき、JASMは台湾のTSMCから50人ほどが派遣され修理に集中しているそうです。
個人も企業も一日も早く復興できますように、と
願うばかりです。
さて、「ミルクのひとり語り~No.2」をお送りします。

「こさめさん」
熊本を突然の悲劇に陥れた「平成8年 熊本地震」の2日後であったろうか。
余震も弱まってきていて、通常の生活が戻ってきつつあった朝に、
夫がスマホを片手に急ぎ足で近付いてきた。
「メルカリを久しぶりにチェックしたら、(イイね)がいっぱい来てたよ!」と感激している様子だった。
(イイね)が(大丈夫でしたか?)の意味らしく、中にはメッセージを書いてくれていた人もいた。
「この人は面白いんだよなー」、「え!もう何年もコンタクトしてない〇〇さんからも」、「この人とは一度メッセージを交換しただけなのに、よく覚えてくれてたなー」などと嬉しそうにつぶやいていた。
しばらくして「あーーー」と感慨深そうに、一つの(イイね)に目が釘付けになっていた。「こさめさんのお母さんだ、、、」
「こさめさん」と聞いて、私もすぐに思い出した。
30代後半だったが難病をかかえ、10年以上も闘病生活をおくられていた女性だ。
外の世界との繋がりを求めてか、メルカリを自分のペースで楽しんでおられた。
衣類や小物等を販売されたり、時にはエッセイや詩も書かれてアップされたりもされていた。
何気ない表現に純粋さ、感受性の豊かさがにじみ出て、病気であるがゆえの人生観、世界観、そして
優しいまなざしや感謝の心が織り込まれ、読むたびに感動したことを覚えている。
しかし残念ながら、3年ほど前に旅立たれてしまった。
夫も応援の気持ちで花の種やジャケットを買ったりしていた。
ジャケットは今でも形見のように大事に使っている。
「大雨は人に害を与えるけど、小雨は人をうるおしてくれるから好き」ということで
付けられたメルカリネーム「こさめさん」
甚大な被害をもたらした今回の地震からの復興を、きっと見守ってくださっていることだろう。
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NO1. 2026年7月26日「紅茶にかいま見る世界の歴史」
「誰にも読んでもらえなくても・・・」
(読んでもらえれば嬉しい)
「コメントが何もなくても・・・」
(コメントがあればなお嬉しい)
の覚悟で「ひとり語り」と名を付けました。
では第1回目をお送りします。

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「紅茶にかいま見る世界の歴史」
先日、「きくよう多文化クラブ」主催で「紅茶&スイートの集い」を開催した。
オカリナ演奏を鑑賞したり、紅茶のレクチャーで学んだりした後、有名ブランドカップに注がれた芳醇な香りの紅茶を楽しんだ。もちろん、お皿いっぱいに盛られたデザートも一緒だ!
そして最後に、昨年訪問した世界的な紅茶ブランドの名産地「ダージリン」の旅についての話をさせていただいた。
パワーポイントで作成したスライドを映しながらお話するうちに、様々な旅の思い出が蘇ってきた。
約14日間のインド旅の最後の4日間を過ごしたダージリンは、標高約1,000mから2,500mの山岳地域である。その深い渓谷の斜面に多くの茶園が緑豊かに広がっていた。
またヒマラヤ山脈の麓でもあるため、町の至る所から雪で覆われたヒマラヤ山脈の峰々が見え、その壮大な自然の景観美には何度も感動させられてしまった。
ところで、ダージリンはどうして紅茶の名産地になったのだろうか?
ご存知のように、インド北東部にはネパールがある。ダージリン地域は元々はネパールに属していたのだ。
ところが1815年、既にインドを植民地にしていた大英帝国(イギリス)
は、ネパールと戦争をして勝利をし、ダージリン地域をネパールから割譲したという。当初はイギリス人の避暑地として人気が出たらしい。
当時イギリスは紅茶のほぼ100%を中国からの輸入でまかなっていた。高価で取引されていた紅茶生産の中国依存から抜け出すために、生産に適した地理条件を備えたダージリンで生産を始めて大成功し、多くのプランテーション茶園が作られていった。そしてイギリスは莫大な富を得たという。
まるで現代のレアアースにも通じる話である。 カップ一杯の紅茶に詰められている世界史と現代に思いを馳せ、ティースプーンでそっとかき混ぜてみた。
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